The Arbinger Institute

We Change Mindset

□アービンジャー「箱」NEWS【Vol. 296 】2015/2/6

こんにちは。

正月太りがそのまま1ヶ月進行中の橋口りょうです。

「運動しよう」 → やらない(自己裏切り)→  → 自己正当化

→ 太る

わかりやすいサイクルをひたすら続けてます。

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■   自分に関わる人々って?    :  橋口 りょう

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「では、テキストに自分に関わる人の名前をあげてください」

箱ファシリ仲間であり、先輩の円城寺さんが言った。

縁あって、博多から熱海まで円城寺さんの箱セミナーを受けに来た。

ファシリテータが他のファシリテータのセミナーにオブザーブとして

参加することは珍しくない。

いろいろな発見があるし、改めて客観的に自分が伝えているセミナーが

見れるし、いいことばかり。

と、思っていた。

タイトルに書いた質問のワークをするまでは・・・。

Q1、父、母の名前

ぼくは、ずっと父親に「箱」に入っていた。

このセミナーをはじめて受けたときに、衝撃を受けた。

その日以来、悔い改めた。

父親を「人」としてみようと思った。

おかげさまでファシリテーターにもなった。

ぼくの周りの人間関係は比較的、円滑で良好だ。

そんなことを思いながら、一つ目の質問に答えていた。

二人の名前を書き終わって、ふと気づいた。

(・・・いやいや、結婚したから他にも両親がいるじゃないか)

そう。義理の両親だ。

名前を書きだそうとしたその時、ペンが止まった。

(あれ?!お義母さんの名前って・・・)

書けなかった。

(いやいや、おかしい。もう結婚して7年たってるし、そんなことはない)

しかし、思い出せない。

(お義父さんは書けた。

だから、大丈夫。覚えてるはず)

一生懸命思い出すが、出てこない。

周りを見渡すと、みんなサクサク書いている。

(そりゃそうだ。私に関わる家族の名前を書けない奴なんて、そういないだろ)

ここで、ぼくの持ち歩いている箱が爆発。

(自分だけ書いていないのは、おかしいだろう。名前が書けてないのがばれるかもしれない)

そう思い、次の質問に移った。

(やべ!おれよく見られようとしてる。箱やん)

一瞬そう思っただけで、行動は止めれなかった。

すると、またやってきた。

Q2.兄弟の名前

妹の名前を書いたところで、気づいた。

(・・・やべ、お義兄はマサツグだけど、漢字どうやって書くんだ?

お義姉さんって、ノリちゃんだけど、名前なんだっけ?)

額を冷たい汗がつたう。

(うわぁぁぁ・・・)

ここのワークは終わり、ファシリの円城寺さんが進行再開。

しかし、心はざわついたまま。

(なんで、名前書けないんだろ?盆と正月帰っているのに・・・)

瞬間色々な感情が僕に語りかける

(いいじゃん。あとで思い出すから、とりあえず次のワークいけよ)

(ダメダメ。ちゃんと思い出して、あなた仮にもファシリテータでしょ?

義理とはいえ、自分の両親の名前も書けないなんて)

(そんなにスッキリしたいなら嫁に電話してきけばいいじゃん)

(そんなことしたら、嫁ちゃんから怒られるにきまってるじゃない)

まるで、天使と悪魔、良心と自己正当化が交互に僕の感情をコントロール

しだした。

けど、実はその天使か悪魔の意見を判断して、選択する別の自分がいる。

これが本当の自分なんだろう。やっぱり箱の中は居心地が悪い。

休憩時間に入り、奥さんにLINEをした。

「ごめん!おれお義母さんの名前書けない。

名前教えてくれない?あと、義兄さん義姉さんも」

「急にどうしたの?セミナーかなんか??」

(うお!するどい)

「うん。おれちゃんと名前が書けない。反省した」

「そうやね。私は何もかも知ってる」

むむむ。奥さんは母親の誕生日や、妹の誕生日にプレゼントを送ったり、

娘の近況などをメールで知らせてくれている。

なのに、ぼくは名前も書けない。

なんてやつなんだ。ぼくは。

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■ 編集後記

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なんの箱だろうと考えた。

いや、箱なのか?とか心が抵抗する。

けど、受けいれるとすごく単純。

やっぱり箱。

【嫁さんからいい夫】

と見られるための便利な道具として

家族を扱っていた。

だから、

盆と正月は毎回帰り、お手伝いをしたり

お酒を一緒に飲んだりする。

でも、盆と正月以外は無関係な人。

だから、お義父さん、お義母さん、お義兄さん、お義姉さん以外は

名前を覚えなくてもよかったのだ。呼び方はそれで呼んでいるし。

そして、これを書いている時も、

「これを読まれて、大丈夫か?」

といい人に見られたい箱が出てきたり・・・。

自分に正直にいれる人になりたい、と改めて思いました。